『孫への伝言』編集部の藤城 徹です。

今回の「昭和史コラム」で取り上げますのは「東京タワー」です。

平成30年9月30日をもって東京タワーは地上波デジタルテレビジョン放送、FMラジオ放送を終了、これにより電波塔としての役目を完全に終えることになりました。

東京タワーの正式名称は「日本電波塔」といい、現在も建主である日本電波塔株式会社が管理運営を行っています。何となく観光名所のイメージがありますが、本来は首都圏をカバーする電波塔として建設されたものであり、展望台やそれに伴う施設はあくまで建設費や運営費を賄うためのものです。
設計をしたのは内藤多仲らを中心とした人々であり、早稲田大学の教授でもあった内藤は昭和2年(1927)に完成した大隈講堂の建設にも構造学の分野から携わった人物であり、パリのエッフェル塔に似た外観を持つ自立型鉄塔として設計されました。

この東京タワー建設に伴う逸話として有名であるのが、廃棄処分となった米軍の戦車を鋳潰して作られた鉄骨が用いられているという事柄です。着工されたのは昭和32年(1957)6月29日ですから、朝鮮戦争の停戦成立から凡そ4年後であり、その際に使用された戦車が払い下げられたと言われています。当時はまだ日本の製鉄業が十分な生産力を持ち得ておらず、この戦車の供給は渡りに船であったようです。

さて、東京タワーからのテレビ電波送信が開始されたのは完成翌年の昭和34年(1959)であり、NHK教育テレビジョンから始まり、民放もこれに続きました。折しもフジテレビジョンにおいて「スター千一夜」の他、「ヤン坊マー坊天気予報」「おかあさんといっしょ」「皇室アルバム」などの長寿番組が放送を開始したのもこの年となります。またこの頃から次第にカラー放送の普及していくことになります。昭和における日本のテレビ放送の発展と共に東京タワーは存在したと言えるでしょう。