『孫への伝言』編集部の藤城 徹です。

今回の「昭和史コラム」で取り上げますのは「築地本願寺」と「築地市場」です。
伊東忠太の設計によるこの伽藍は昭和9年(1934)に完成しました。そのデザインは仏教と縁が深い蓮の花をモチーフとしながら、同時にインドの石窟寺院風に仕上げられており、日本における一般的な仏教寺院のイメージからはかけ離れた存在となっています。更に驚きなのは本堂の中にあるパイプオルガンで、また参拝者も椅子に腰かけるようになっており、日本のお寺というよりは西洋の教会のような印象を受けます。

この築地本願寺と時を同じくして竣工したのが「築地市場」。
江戸の頃、魚市場は日本橋界隈、今で言う日本銀行や三越本店の辺りにありました。しかし、明治時代に入ると、この地域の再開発が始まります。これを受けて、魚河岸にも移転を求めるという話になりますが、魚河岸の人々はこれに大反対。これを不当として東京市に抵抗しました。この移転問題が解決したのは、皮肉なことに関東大震災によってです。

この震災によって日本橋の魚河岸は大きなダメージを受けました。そこで東京市は付近一帯を封鎖、あくまで仮の営業場所として築地を用意したのです。魚河岸の人々はしぶしぶこちらに移ることになりましたが、そのまま帝都復興予算を投じて同地に作られたのが築地市場でありました。当時としては最新の設備を持ち「東洋一の魚市場」と呼ばれましたが、老朽化が著しいとして豊洲への移転となった事は記憶に新しい所ではないでしょうか。

一方、関東大震災によって深刻な被害を受けたのは、築地本願寺も同様です。地震に伴って火災が発生、銀座ならびに八丁堀の方向から火の手が迫り、本堂が全焼しています。復興に際してこの教訓は生かされ、耐火性に富む鉄筋コンクリート造りの新本堂が作られたのです。何れも被災した施設が同じ年に復興されるのは奇縁と言うべきでしょう。エキゾジックな雰囲気たっぷりの築地本願寺と、まさに近代的な魚市場のフラグシップモデルと言える築地市場が揃い踏みした光景はさぞや壮観だったのではないでしょうか。